音大生にエール!
連載76

非音大卒いけてる原論⑨
音楽ジャーナリズムとは何か?
書くこと書かないこと

音大生の皆さん、こんにちは。今はインターネットやSNS(交流サイト)に音楽情報があふれています。誰もが音楽について論じられる環境は素晴らしいことです。最近ではコンサートが終わり次第、SNSやサイトでただちに大量のレビューが発信されるようです。私は新聞社社員としての立場上、公的メディアで記事を書くのみで、SNS発信は一切しておりません。ところで、SNS未利用の化石人間による反時代的考察になりますが、音楽ジャーナリズムとは何ですか。ジャーナリストとは誰ですか。何を書き、何を書かないのでしょうか。

デジタル社会の「ジャーナリスト」

「何十年間も新聞記者をしてきた人間が、今なお『ジャーナリズムとは何ですか』などと質問しているようじゃ、全く進歩がなかったことを認めたのも同然だね」と鬼の首を取ったかのように笑われても仕方がありません。ジャーナリズムとは何か、簡単に答えられません。「近頃は誰もがジャーナリストを名乗りたがる。ジャーナリストなんて気取った呼び方はよくない。我々は新聞記者だ」と以前、誰かがこう息巻くのを聞きました。「ジャーナリスト」がインフレを起こし、それが一体誰なのか、定義も分からないのが実情です。

音大生の皆さんの中にはジャーナリズム、またはマスコミの世界でライターや編集者の仕事をしたい人もいるでしょう。新聞社やテレビ局で音大卒の記者は希少価値です。音大で学んだ専門性を生かす場はあります。ただ、その前に押さえておきたいのは、マスコミとジャーナリズムの違いです。私見ですが、マスコミとは新聞やテレビなどマスメディアを使って不特定多数に情報を伝達する手段であり、事実の報道です。一方、ジャーナリズムは事実の情報を社会的に有意義な視点や考え方で論評して伝えることです。情報過多の中で定義がぼやけがちなので、別の説明をする人もいるでしょうが、大方は間違っていないと思います。

新聞 そこで新聞やテレビは何かというと、マスコミであり、ジャーナリズムでもあります。ではジャーナリズムが「事実の情報をある視点や考え方で論評して伝えること」だとしましたら、SNS発信もフェイク情報でない限りジャーナリズムと呼べることになります。誰でもジャーナリストです。デジタル民主主義社会では、質的にどうかは別にして、これは有りでしょう。有志はみんなジャーナリストで行きましょう。しかし、その中で一つ、非常に大きな違いがあります。マスコミかつジャーナリズムであることと、単にジャーナリズムであることの違いです。新聞やテレビは組織ジャーナリズムなのです。

組織ジャーナリズムと「人脈」

組織ジャーナリズムとなりますと、記者は所属する新聞やテレビの名前で取材します。マスコミ各社の名刺があれば、大物や著名人にインタビューを受けてもらうことができます。そこで自分の「人脈」ができたように思いたくなるのが人情ですが、実は各社マスメディアの信用力やブランド力のおかげで会わせてもらえているのです。何を取材し、どこに載せるという合意があってインタビューが成立します。事実確認し、想定されたメディアに記事や特集を載せて任務を果たします。

ではそうした取材で知り得た情報を何でも活用していいかというと、そうではありません。取材相手はどのメディアにどのような記事を載せるかという合意のうえで話をしてくれるのですから、その情報を私的には使えません。当該記事に載せきれないと、私的に発信したくなるという誘惑が生じます。しかし、いくらもったいない話でも守秘義務があります。ニュースの場合は情報管理を徹底しなければ報道自体が成り立ちません。人それぞれですが、誘惑に負けるリスクを避ける一手として、時代錯誤と思われようとも、新聞記者の自覚を持つ限り、私的にSNS発信をしないこと、SNS未利用という選択があるのです。

組織ジャーナリズムの記者でも社外でテレビ出演や講演、レビューやコラムの執筆、書籍の出版、教育機関での講義などに携わることがあります。そうした社外での活動もすべて会社や組織の承認のもとで行われるのであり、各社マスメディアの信用力やブランド力を背負っていることに変わりはありません。他の個々の取材で知り得た具体的な情報を流用することはできません。そのために新たに取材して得た情報や公開済みの情報でない限り、そこでできるのはせいぜい抽象度を高めた一般論で語ったり書いたりすることだけです。

希望がかなわない人事異動も

組織ジャーナリズムは個人の力だけではできないことを可能にしますが、遵守しなければならないことも多いのです。個人的に気ままに書きたいだけならば、マスメディアではなく、趣味としてブログやSNSで発信したりユーチューバーになったりするほうが自由度は大きいでしょう。

また、新聞やテレビも企業組織ですので人事異動があります。必ずしも希望した仕事ができるとは限りません。例えば、音楽担当のポストが少ないうえに長年担当し続けたい記者がいれば、いくら希望しても交代が実現しない可能性もあります。逆に晴れて音楽担当記者になったとしても、強く希望している人がほかにいれば、突き上げられて短期間で交代させられてしまうこともあるでしょう。異動によって建設業界や電子部品業界、企業財務の取材を担当することになるかもしれません。

事実の報道 「それでは専門性が身に付かないじゃないか」。個別の分野についてはそうかもしれませんが、様々な分野を経験したほうが記者という職種自体の専門性は磨かれ、視野が広がり、より優れた記事を書けるようになる可能性が大きいと思います。ジャーナリズムはそもそもアマチュアリズムであり、知らないことを取材や調査や勉強を通じて知って伝えるのが基本だからです。様々な分野を担当しても、自分がもともと持っている知識や専門性は少しも減らないでしょう。異なる分野に照らし合わせて自分の知識や専門性を生かすこともできるはずです。こうした事情を認識したうえで、事実の報道と、社会的に信頼性の高い論評を志すのならば、新聞やテレビの仕事を目指してください。

特権ではなく節操と見識を持つ

マスコミとジャーナリズムの話が長くなりましたが、音楽ジャーナリズムとは何かを改めて考えてみましょう。先ほどの私なりの公式に当てはめれば、「音楽に関する事実の情報を社会的に有意義な視点や考え方で論評して伝えること」となります。それは自分が感動した素晴らしい音楽の価値を読者に伝え、その感動を分かち合えるようにすることです。

論評の対象はコンサート、CD、楽譜、音楽家など多岐にわたります。ここで問題になるのはコンサートの招待でしょう。コンサートに行きたくても、経済的、時間的理由で行けない人たちが多数います。私見ですが、プロのジャーナリストが招待でコンサートを聴くのは、公的メディアやリーフレット向けにレビューやプログラムノートなどの執筆の仕事を依頼された場合のみだと思います。プロのジャーナリストが持つべきは特権ではなく節操と見識ですので、仕事に関係なく招待で連日コンサートを聴いている人はいないはずです。

CD 「でも話題のコンサートをいっぱい聴かなければ、音楽ジャーナリストも音楽評論家も務まらないでしょ」。違います。妙に聞こえるでしょうが、コンサートに行けなくても音楽批評は可能です。そのコンサートについて書かないだけの話です。経済的に聴けないものは聴けません。地震で被災した人たちが東京でオペラを聴けますか。そもそも遠い地方に暮らす人たちはめったにコンサートホールに行けません。それでもCDやレコードの再生装置があれば、パソコンやスマホがあれば、楽譜を読めて楽器を演奏できれば、音楽は聴けます。譜読みに長けた人ならば、楽譜さえあれば音楽が頭の中で鳴ります。コンサート中心の音楽批評である必要はないのです。

すべての人を包む音楽の豊かさ

私もコンサートに行きますが、以前、終演後に楽屋へ誘われた際、スマホ撮影を頼まれることが多かったのを思い出します。職業柄、「写真撮影は得意でしょ」というわけです。著名な指揮者や演奏家と並んで写真を撮り、すぐにSNSやブログで発信するのでしょう。楽屋で著名人と親しく会えることを宣伝すれば箔が付くようです。自分はその指揮者と親しかったと自慢したくなるのも人情です。しかし「関係者以外立ち入り禁止」と書いている楽屋に行けること自体、特権的ですので、人脈自慢もコンサート出席自慢と並んでカッコいいものではない気がします。楽曲や演奏を音楽的に分析しなければ、レビューは読者に無力感を抱かせるだけの単なるのろけ話に終わる危険性もあります。

「地球にはすべての人を包む豊かさがある」というチャップリンの映画「独裁者」の最後の演説を思い出します。音楽にはすべての人を包む豊かさがあります。音楽は競って取り合ったり独り占めにしたりするものではないですし、話題のコンサートだけが音楽ではありません。CD1枚について論じてもいいですし、小さなリサイタルについてレビューを書くのでもいいのです。大好きな1曲を研究し、論文にまとめることも立派な音楽ジャーナリズムであり、音楽評論です。最近はインターネットのおかげで誰でも専門家並みに論じられるようになったと揶揄する向きもありますが、そうなって困るのは既得権にしがみつく方々だけです。

音楽を愛し、十分な専門知識と教養を持って分析し、論じられる本物の資質が問われています。音大生の皆さんにはその資質があります。発信や公開をしていないだけで、非常に深い楽理分析の論文を書いている音大卒の方々を知っています。一方で音楽評論は、音楽に向き合い、触発され、もう一つの作品を創造する行為です。小林秀雄の「モオツァルト」を引き合いに出すまでもなく、それは文学作品です。音大生の皆さん、話題のコンサートや著名人の動向に振り回されるのではなく、高い理想を持って、じっくり腰を据えて、自分の置かれた環境に応じて、自分にできる音楽ジャーナリズムに取り組んでみてはいかがですか。

池上 輝彦(いけがみ てるひこ)音楽ライター profile

池上 輝彦(いけがみ てるひこ)音楽ライター 音楽ライター、音楽ジャーナリスト。早稲田大学卒業後、日本経済新聞社入社。証券部・産業部記者を経て欧州総局フランクフルト支局長、文化部編集委員、映像報道部シニア・エディターを歴任。音楽レビュー、演奏家や作曲家へのインタビュー記事、映像付き音楽連載記事「ビジュアル音楽堂」などを執筆した。現在はメディアビジネスのチーフメディアプロデューサー。クラシック音楽専門誌での批評、CDライナーノーツ、公演プログラムノートの執筆も手掛ける。ヤマハ音楽情報サイト「Web音遊人(みゅーじん)」にて「クラシック名曲 ポップにシン・発見」を連載中。
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日本経済新聞社記者紹介 >>>

次回の掲載は2024年4月20日ごろを予定しております! ぜひお楽しみに!

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