音大生にエール!
連載36

芸術至上主義作曲家
~絶滅危惧種~の音大回想録
「インドへの道」その1

高校生の頃、NHK-FMの番組《民族音楽の時間》を、毎週楽しみに聴いていた。その番組のパーソナリティで民族音楽の研究者、小泉文夫先生が、大学一年次の必修科目《音楽通論》を講義されていた。

私はこの講義を楽しみにしており、毎週音楽学部唯一の階段教室5-109の最前列の席で聴講した。小泉先生はインド音楽が専門、若い頃インドに留学され、講義にシタールを持参されたりもした。未だ見ぬ国、悠久のインドに想いを馳せながら、小泉先生の講義をうっとりと聴いていたのを今も思い出す。

20代後半、自己の作曲語法に行き詰まった時、小泉先生のインド音楽講義を思い出した。当時の私はドビュッシーや武満徹の音楽に共感し、和音の瞬間的な美に拘って作曲語法を追求し続けた結果、10分を超える曲が構想出来なくなっていた。それで満足出来れば、それも良いのだと思う。しかし若き日の私は貪欲で、大きな構成を備えた曲を書く手法を模索していた。メシアン著『わが音楽語法』を読んだりしたのもその頃の事。自分だけの音楽スタイルを確立するのに必死だった。

タブラ(北インドの打楽器) そんな折、町田にタブラ(北インドの打楽器)の奏法を教えてくれる先生がいるので一緒に習いに行かないかと、文化人類学者の女友達に誘われた。私はインド音楽に特徴的な混合リズムにも興味があったので、躊躇う事なくタブラセットを購入して二人でレッスンに通った。

タブラを習って《ターラ》という北インド古典音楽のリズムシステムを実際に知る事ができたのは有意義であった。しかしドラムセットで言えばハイハットシンバルのような役割の、右手の人差し指全体を真っ直ぐに伸ばしてタブラに打ち下ろすという基本ストロークが、いくらやっても出来ない。ピアノ演奏の習慣でどうしても指先が先に降りてしまうのだ。困り果てている時、タブラの先生のお宅で出会ったのが、インドのバッカンディー音楽大学を卒業され、帰国したばかりのT.M.ホッフマン先生であった。

ホッフマン先生は北インド古典音楽を尺八で演奏される。奥様は日本人であり日本語が堪能だった。北インド古典音楽の演奏者は自ら歌を歌って曲を習得する。その習得方法は西洋音楽で言うソルフェージュにも似ているが、北インド音楽は本来、楽譜と言うものはない。ハーモニーもない。ラーガという多数の旋法で出来ており、演奏者は師匠からの口述伝承で、自ら歌を歌って様々なラーガを習得する。

わたしはインド楽器が演奏出来ないので、ホッフマン先生から北インド古典声楽を習う事にして、ラーガ・ヤマンにはじまる五つのラーガを半年間に習得した。即興演奏のベースとなる北インドのラーガはどれも大変美しく、特に最後に習ったラーガ・プリヤ・ダネジュリーは一番複雑な音階のラーガで大変神秘的だった。

間もなくホッフマン先生は下仁田(奥様の御実家)に戻られた。しばらく経って、インド史研究者の別の友人から、その当時学会で来日しているカルカッタ在住の音楽学者を紹介され、彼からカルカッタで、北インド古典声楽の師匠を紹介してもらえる事になった。そこで冬休みの一か月間、前述の文化人類学者の友人とカルカッタに行くことにした。まずカルカッタで、北インド古典声楽の先生に二週間レッスンを受け、その後インドレールパスを使って、二週間北インド旅行をする予定だった。

ボンベイ しかし女二人の珍道中は、最初からズッコケっぱなしだった。なんと友人は私の独身時代の旧姓で飛行機をブッキングしていて、出発数日前にその事に気がついた。飛行機は既にボンベイ行きの便しか残っていなかったので、当初の計画は大幅に変更せざるを得なかった。

このインドの旅は私にとって人生初めての外国旅行だった。そして初めて足を下ろした異国の地は、当初予定していたカルカッタではなく、誰も迎える人のいない真夜中のボンベイだった。(続く)

二宮 玲子(にのみや れいこ) 作曲家 profile

作曲家 二宮 玲子 東京芸術大学作曲科卒業。故・石桁真礼生、故・松村禎三、浦田健次郎の各氏に作曲を師事。故・黛敏郎氏に管弦楽法を師事。在学中に《弦楽四重奏のための前奏曲》が日本音楽コンクールに入選。《Prominence》がシルクロード管弦楽コンクール(テレビ朝日、エネスコ主催)入選。《春に酔う~ソプラノとピアノのための》(ペルシャ古典詩より、岡田恵美子・訳)が第22回日本の音楽展作曲賞受賞、JFC楽譜出版。

89年より現在まで、岩波映画製作所(現在U N Limited)今泉文子監督の音楽スタッフを担当。「科学する心一中谷宇吉郎の世界」(科学技術映画祭・科学長官賞)、「コテッジ・ホスピス」(同・総理大臣賞)、「十歳の君へ命の授業」(日野原重明「いのちの授業」文化庁映画賞・文化記録映画優秀賞)等、多数受賞。

最近ではライフワークのオペラに於いて、日本的な題材を取り扱った作品《MABOROSI~オペラ源氏物語~》(作劇・林望)を作曲。地域に密接した音楽活動の一環として、YAMAHA大人の音楽教室に於いて〈わいわい&サンデーオーケストラ〉を指揮。ピアニストとして、バイオリニスト・安田紀生子とタンゴマドンナを結成。ピアソラ作品を中心に各地のライブコンサートに出演中。

  • 武蔵野音楽大学非常勤講師(作曲理論部)
  • 中央大学法学部非常勤講師 音楽B(一般教養科目)、基礎演習(舞台音楽の研究~オペラ、ミュージカル、歌舞伎への誘い)を担当。

お知らせ!

松村先生の門下生は、先生の没後に《アプサラス》(飛天)というグループを作り、毎年松村先生の作品と門下生の作品を発表しています。近年は《松村賞》という新作作品のコンクールも出来ました。

▼作曲家を目指している学生諸君、ふるって御応募ください!
https://tm-apsaras.jimdofree.com/about-apsaras/

作曲家の二宮玲子さんにお聞きしたいことなどありましたら、こちらからお問い合わせください>>

次回の掲載は2022年1月15日ごろを予定しております!
ぜひお楽しみに!

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