芸術至上主義作曲家
~絶滅危惧種~の音大回想録
「インドへの道」その2
(その1のあらまし:女二人の北インド古典音楽探求の旅は、音楽学者に迎えに来てもらう予定だったカルカッタ行の便から、ブッキングミスのために、急遽ボンベイ行の便に変更となってしまった)
ボンベイ空港には真夜中に到着。空港から市街地に向かうバスに乗り込み、ふと窓の下を見ると、ボロ布を纏った乞食が「バクシーシ(喜捨) プリーズ」と、こちらをじっと凝視めて手を差し出している(バクシーシとは、余裕ある者が貧しい者に金品を与えることで得られる徳)。当時(1990年前後)日本はバブル経済に浮かれていた頃で、私自身乞食を見たのは幼少の頃以来、2度目だった。相手の深いところを見透かすような眼光の鋭さに、これから旅するインドという国の凄まじい有様を垣間見たように思え、ショックを受けた。
北インド古典声楽レッスンをカルカッタで二週間受けた後、二週間の北インド旅行を楽しむという当初の計画は変更を余儀なくされた。ボンベイからデカン高原を北上しデリーまでの二週間は観光、その後東へ向かってカルカッタで何とかレッスンを受ける、という事になった。
まずはボンベイでYWCAに数泊、オーランガバード経由でエローラ、アジャンタ遺跡を見物。タクシーのぼったくりは常習で、交渉が大変だった。行く先々で子供が絵葉書や花を売りつけてくる。文化人類学者の友人の英語が堪能なのは心強かった。
デカン高原は砂漠なので、砂埃で物がはっきり見えない。インド人が赤や緑の極彩色の衣装を好む理由がよくわかった。ホッフマン先生が、日本人は眼が、インド人は耳が良い、と仰っていたのを思い出した。
白い大理石で造られた憧れのタージマハールのあるアグラを、砂埃を浴びながら通過し、首都デリーになんとか大晦日に到着。ホテルで髪を洗う為に冷水のシャワーを何度か浴びた友人は、風邪をひいてしまい、何と声が出なくなってしまった。私は英会話を習った事はなかったが、それから先は彼女に代わって全ての交渉を引き受ける羽目に陥ってしまった。
「ノー・プロブレム」で、何でも自分の都合の良いように片付けてしまうのが、インド人のやり方。対抗上、交渉には徹底的な自己主張が必要、きちんと文法を考えて話そうとしていると「ノー・プロブレム!」の先制攻撃にやられてしまうのだ。兎に角、キーワードだけは大声で連射するのが有効。サバイバル・イングリッシュだ。
私は後に欧州の様々な国を、このちょっと下品なサバイバル・イングリッシュを駆使して旅行した。イギリスでは同行した英検一級の英文学者が、教科書に載っているようなクイーンズ・イングリッシュで道を尋ねたが通じない。私のサバイバル・イングリッシュの方がはっきり意図が伝わった。
当時のインドは一般家庭に電話が普及していなかったので、カルカッタの音楽学者には連絡が取れなかった。デリー到着の頃、私は音楽に飢えていた。国立劇場に行くとインドの民族舞踊フェスティバルをやっていた。日本の国立劇場で見たことのある南インドのバラティナティアム等、様々な民族舞踊がインド楽器の生演奏で繰り広げられた。最後に演じられた北インドのカタックダンスチームの舞踊はラーガ・ヤマンの伴奏、これまで見たことのない程華麗で洗練されていた。
劇場を出て友人とタクシーを待っていると、バイオリンを持った少年が歩いてきた。見れば先程のダンスと一緒に演奏していたアンサンブルのメンバーの一人だった。ミュージシャン同士なので、なんとなく声がかけやすく、直ぐに友達となった。北インド古典声楽の良い先生を知らないかと尋ねると、彼の師匠でもあるバイオリニストの父親は声楽も教えているとのこと、私はもう一週間デリーに留まって北インド古典声楽のレッスンを受ける事にした。ようやく声の出るようになった友人は一足先にカジュラホ経由でカルタッタに向かう事になった。一人旅の始まりだ。
まずはデリーのYMCAで、別れた友人用の客室をシェアしてくれるルームメイトを見つけなければならなかった。ロビーに座っているバッグパッカーをざっと見回すと、ガイドブックを真剣に読んでいる賢そうな白人女性が目に入った。勇気を出して声をかけてみると、喜んでルームシェアをしてくれる事になった。彼女は小学校教師になったばかりのカナダ人、クリスマス休暇にボーイフレンドとインドを旅行中、今は別行動を取っていた。
この後、カルカッタに向かう寝台列車のコンパートメントで一緒だった20歳のロンドン娘は、ボーイフレンドとインド中を旅行していて別れたばかりだった。結婚前にボーイフレンドとインドのような異国、異文化の地をバッグパックで旅行して、結婚相手に相応しいかどうかを判断するという、彼女達の徹底した合理主義には感心した。これからの人生で出会うかもしれない困難に、一緒に立ち向かってくれる人かどうかを見分けるのには、何かにつけて非合理で大変なインドを一緒に旅してみるのは恰好の機会だと思った。(つづく)