芸術至上主義作曲家
~絶滅危惧種~の音大回想録
「オーケストラ曲との格闘」
その3、そしてオペラへ
作曲家を目指して二十年余、ソプラノとオーケストラのための『ルバイヤート交響曲』で何とか思うようにオーケストラ曲を作曲できた。この曲は東フィルから尾高賞に推薦されたものの、流石に無名の若造の曲が尾高賞を受賞することはなかった。だが、この曲は私にとっては忘れ難い曲となった。この曲で、恩師松村禎三先生からようやく作曲家として認めてもらえたからである。偶々初演を聴いておられた作曲家・別宮貞雄先生からも激励のお手紙を頂いた。
そして鎌倉女学院の創立百周年、及び百十周年記念式典のためのオーケストラ曲を、神奈川フィルを通して委嘱された。以前は團伊玖磨先生が引き受けていた仕事であり、大変光栄だった。『序曲鎌倉』と交響詩『鎌倉の四季』がこうして生まれ、天沼裕子氏、金聖響氏の指揮で神奈川フィルによって、それぞれ初演された。
同じ頃、ボランティア育成基金チャリティコンサート(横浜市ボランティア協会主催)の実行委員長大石修治氏(当時、ヤマハ横浜店社長。後、神奈川フィル常務理事)から同店のオーケストラ教室の指導を依頼された。教室を始めるにあたって、当時多くのアマチュアオーケストラを指導されていた三原征洋氏(元N響ヴィオリスト)に相談した。同氏から「アマチュアオーケストラの指導で大切なのは、何よりも団員との信頼関係である」とアドバイスを受けた。この言葉を信条として今日まで20年間、《わいわい&サンデーオーケストラ》を続けている。
昨年は新型コロナのため、4ヶ月間ヤマハ音楽教室は閉鎖され、再開後はメンバーが三分の一まで減った。教育関係者や、医療関係者が多いため、その後もメンバーがなかなか戻ってこなかった。しかし団員の頑張りで、昨年秋はタンゴのアンサンブル曲の演奏会を行い、少しずつ団員も戻ってきている。教室の創立時からのモットー「情熱は火花に非ず、持続なり」、それに本教室の恒例行事「老人ホーム、病院、養護施設への訪問演奏」は途絶えないで済みそうだ。団員と楽しくオーケストラ教室を続けていく事は、今では私の人生の楽しみの一つとなっている。音大生の皆様も、将来合奏や合唱の教室を教えるようになったら「団員との信頼関係」を何よりも大事にされますように。
作曲家としての私は、様々な交響曲を研究した。そして日本人の作曲家として、これから世界に交響曲を発信して行くとしても、大先輩の黛敏郎先生と矢代秋雄先生には到底敵わないと思うに至った。黛先生の『涅槃交響曲』は鐘の響きを分析した音列だけで、壮大かつ前衛的な交響曲が構築されている。その大胆かつユニークな発想、厳しい論理性、無駄のないコンポジション、どれをとっても私には敵わない。また、矢代先生の交響曲やピアノコンツェルトは西洋クラシックの伝統を踏まえつつも、日本人としての繊細で美しい独特な音感に溢れ、全く無駄のないコンポジションであり、こちらも私には越えられそうも無い。両先生に無く、私にあるものは?と考えると、情動的・官能的な楽想くらいしか思い当たらない。それなら『愛と死』の世界を具体的に扱うオペラを目指そうと思うに至った。名作と言われるオペラの殆どは、男女の恋愛と殺人(自死を含む)をテーマとしている。この世界は黛先生も矢代先生も書かれていない。私のライフワークは(オーケストラ伴奏の)オペラにしようと決意した。
とは言え、なかなかオーケストラ伴奏のオペラを書く機会はあるものではない。が、幸いな事に日本アイルランド協会の委嘱で、チェロとフルートの伴奏によるモノオペラ『雪女』(初演・日下部祐子)を作曲する機会を得た。さらに続けて同協会員の英文学者・真鍋晶子氏のプロデュースで、彦根市委嘱の井伊直弼と開国150年祭フィナーレイベント・狂言オペラ『たぬきのはらづつみ』を、狂言の茂山家とのコラボで作曲した。そして、コラニー文化ホールの委嘱で『MABOROSI~オペラ源氏物語』を作曲、初演した(2014年、作劇:林望)。
詩人でエッセイストでもある林望先生の日本語は大変美しく、その後もご一緒に歌曲を制作。この程、林望先生の詩による『若き日の』という歌曲集を出版する事になった。日本に生まれた作曲家として、美しい日本語を大事にしていきたいと思っている。
旅のソネット全曲版(歌曲集『若き日の』より)
さて、半年間かけて(12回)音大生の頃から今までの、私の経験を述べてきた。私は結局、音楽以外の仕事をしたことがなかった。人としてかなり偏った、不器用な人生であったように思う。しかし、『幻想交響曲』を作曲したベルリオーズは、数々の名作を作曲、指揮した上に、指揮法や管弦楽法の本まで出版しているにもかかわらず、ようやく得た定職がコンセルバトワールの図書館員で、最愛の妻ハリエット・スミスソン(シェークスピア女優)とも、別居の末、死別してしまったのだ。かの大天才作曲家でさえしかりー私の人生もまあまあなのかな?とも思えてくる。
さて皆さんは、これからの情報化社会を生きて行くために、音大を卒業してからの社会では、勉強の連続かもしれない。その中で、大学で専攻した音楽を一生の心の友として生きていけるのは、なんと言っても強みである。
私は中央大学法学部で音楽の講座を担当して10余年になる。中大の学生は、主にサークル活動を通して音楽を深め、一生の友として生きていく方も多い。何を大学で専攻しようが、長い人生から見るとほんの僅かな時間ではある。人それぞれの道筋があって良いと思うが、特に音大生には大学生活の中で音楽の他に、沢山の本を読み、言葉で考え、表現する力をつけて欲しいと思う。また、日本の古典文学や美術、映画等、様々な分野に関心を持って、創造力・発想力を養って欲しいと願って止まない。 完