音大生にエール!
連載69

非音大卒いけてる原論②
誰が聴くか? 聴きたい人はたくさんいる

音大生の皆さん、こんにちは。池上輝彦です。誰が音楽を聴くのでしょうか? そう、いきなり本題です。「音楽はみんなのもの」「誰もが聴ける」と信じたいですよね。でも聴きたいコンサートに行けないことって、多くないですか。

ベルリン・フィルハーモニー

私はベルリン・フィルハーモニー管弦楽団やウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の来日公演を聴いた経験が片手で数えるほどしかありません。1枚数万円と高価なチケット代を月々の生活費から捻出するのはかなり困難です。比較的安めの席を取ろうとしても、すでに売り切れていることがほとんどです。

経済的に聴けないものは聴けない

2000年代前半、新聞記者としてドイツに駐在していた頃、欧州の有名オーケストラの公演をフランクフルトやベルリンで何回も聴きました。地理的にも、チケット代的にも、仕事が忙しくなくなる時間帯という時差的にも、普通の生活の中で無理なく自然に聴く機会を持てたからです。しかし来日公演ともなるとチケット代が非常に高くなります。

「そんな大物の来日公演も聴いていないようじゃ、音楽評論家として失格だね」と貶していただいて大いに結構です。高価なコンサートに毎晩通えるほうが一般の感覚からは程遠く、聴衆を代表する立場とは言えなくないですか。経済的に聴けないものは聴けない、これが正直で誠実な立ち振る舞いかと思います。「楽典 音楽を志す人のための」(菊池有恒著、音楽之友社)によると(またその本かと言われそうですが、たまたま第1回執筆時から机の上にあるので)、音楽批評家は権力や強要に左右されず、「節操感をもった人」である必要があります。

コンサート 高いコンサートに通えるのはいいことです。経済的に大いに余裕があり、どうしても聴きたければ、誰にどう思われようと毎晩でも通えばいいでしょう。しかし有名オーケストラの来日公演を聴きたい人はたくさんいます。一般的には、そうしたコンサートに行くのは年に1、2回の特別の日でしょう。

クラシック音楽をビジネスとして考える場合、「富裕層を狙え」という主張があります。「富裕層は子供の教育に熱心で、ピアノやバイオリンを習わせて、高尚なクラシック音楽を聴かせようとする」という分析です。しかも「高価なチケットも躊躇せず買ってくれる」と見込むわけです。

そうした富裕層をターゲットにしたビジネスモデルが成功する可能性は、実はあると思います。日本は近年、賃金が伸び悩む一方で大企業の役員報酬を手厚くしており、所得格差が拡大するとともに、富裕層の絶対数も増えています。収容人数が万単位のアリーナやドームで開くロックコンサートとは異なり、数百人から千数百人程度のクラシックのコンサートホールを満席にするためには、十分な数の富裕層がいます。しかし、それでは「富裕層でなければクラシックを聴くな」と言っているのと同じになってしまいます。英国の指揮者サイモン・ラトルは、最も嫌いな言葉として「クラシック音楽はエリートのためのもの」を挙げています。

「クラシック音楽ファン=富裕層」ではない

国税庁の「令和4年分 民間給与実態統計調査」によれば、2022年の日本の1人当たり平均年収は458万円。30年前の1992年は同425万円だったので、過去30年間でほとんど伸びていません。年収458万円の税引き後の手取り額は360万円程度、月30万円くらいです。そうした台所事情で1枚2万~5万円台のチケットを買うとしたら、年に何回聴けるでしょうか。平均年収の日本国民でさえ躊躇する価格帯では、本当に聴きたい人が聴けないのではないでしょうか。クラシック音楽を愛好する人が富裕層に限られることは、私自身の経験からも「ない」と確信できます。

例えば、フランスの作曲家クロード・ドビュッシー。彼はパリの貧困家庭で育ちましたが、南仏カンヌの親戚の家に疎開した8歳のとき、ピアノに出合って音楽の道を歩み始めました。そのわずか2年後の10歳でパリ国立高等音楽院に入学します。ドビュッシーの音楽には高貴で豊かな生活文化や芸術への憧れが感じられるのですが、彼自身はけして裕福な家に育ったわけではないのです。クラシック音楽は高貴な世界への夢とも考えられます。

喫茶店 村上春樹の長編小説「海辺のカフカ」では、トラック運転手の星野青年がたまたま喫茶店でベートーヴェンの「ピアノ三重奏曲第7番『大公』」を聴く場面が出てきます。星野青年は中日ドラゴンズのファンですが、クラシック音楽にはあまり関心がなかったように描かれています。それがルービンシュタインのピアノ、ハイフェッツのバイオリン、ファイアマンのチェロの「百万ドルトリオ」による「大公」の録音を聴いて、音楽に目覚めるのです。彼は数万円もするコンサートに行ったわけではありません。喫茶店のBGMです。どこで誰が聴いてクラシック音楽に憧れを抱くようになるか分かりません。

私は山岳地に育ちましたから、初めてコンサートホールでクラシック音楽を聴いたのは都内の大学に入ってからです。小林研一郎指揮のマーラーの「交響曲第3番」だったはずです。チラシ配りのアルバイト料が入ってチケットを買いました。オーケストラと会場がどうしても思い出せません。レコードやカセットテープで数限りなく聴いてきた大好きな交響曲ですが、まず第1楽章の長大な行進曲の合間に、コバケンさんが「ウンッ」と唸るのに衝撃を受けました。これがライブかと感動した瞬間です。情熱的で感情過多の指揮ぶりにすっかり魅せられてしまいました。

コンサートホールで聴ける人は少ない

演奏家や作曲家を目指す音大生の皆さんは、これからどのような人たちに自分の音楽を聴いてもらおうと思っていますか。コンサートホールがない地方には、かつての私のように、レコードやCDを聴くというささやかな鑑賞活動を通じてクラシック音楽に憧れている子供や若者が少なからずいるはずです。そのことを忘れないでほしいのです。「海辺のカフカ」を読んで星野青年を思い浮かべるのもいいでしょう。

音楽を聴く環境に恵まれていない人たちは世界中にたくさんいます。コンサートホールで聴ける人のほうがはるかに少ないでしょう。クラシック音楽の市場を開拓するためには、大都市以外のところでも「鑑賞家」を増やす必要があります。

実は、現代の日本においてクラシック音楽を聴けない状況はほとんどありません。ユーチューブ、テレビ、ラジオ、CD、ライブ配信など、その気になれば聴く機会は多様にあります。ライブでも、日本の演奏家による室内楽や器楽の優れたリサイタルが、数千円程度の比較的リーズナブルな値段で毎日開かれています。私は最近、そうした小規模のリサイタルを聴く機会のほうが圧倒的に多いので、今ではすっかり室内楽に傾倒しています。

喫茶店 最近は音大生による室内楽や器楽のリサイタルも聴きに行きます。珍しい選曲のプログラムもあって、勉強になり、感動します。音楽の教養という意味では、大ホールで定番の交響曲を聴くよりも有意義だったりします。日本でもようやくクラシック音楽が日常の生活空間に定着してきたと実感するひとときです。そうした日常から新しい音楽評論も創造されるでしょう。聴きたい人は意外な場所にたくさんいます。演奏家が活躍する場は企画次第でいくらでも広がりそうな予感がします。音大生の皆さん、自信を持って前に進みましょう。

池上 輝彦(いけがみ てるひこ)音楽ライター profile

池上 輝彦(いけがみ てるひこ)音楽ライター 音楽ライター、音楽ジャーナリスト。早稲田大学卒業後、日本経済新聞社入社。証券部・産業部記者を経て欧州総局フランクフルト支局長、文化部編集委員、映像報道部シニア・エディターを歴任。音楽レビュー、演奏家や作曲家へのインタビュー記事、映像付き音楽連載記事「ビジュアル音楽堂」などを執筆した。現在はメディアビジネスのチーフメディアプロデューサー。クラシック音楽専門誌での批評、CDライナーノーツ、公演プログラムノートの執筆も手掛ける。ヤマハ音楽情報サイト「Web音遊人(みゅーじん)」にて「クラシック名曲 ポップにシン・発見」を連載中。
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次回の掲載は2024年1月5日ごろを予定しております! ぜひお楽しみに!

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