音大生にエール!
連載73

非音大卒いけてる原論⑥
「ヨーロッパとは何か」
西洋音楽に携わる理由

音大生の皆さん、こんにちは。最近は音大にも邦楽やジャズ、ポップスなど様々なコースがあるようですが、皆さんの専攻の中心はクラシック音楽かと思います。「クラシック音楽」は学術的な言葉ではないので、ほぼ「西洋音楽」と言い換えます。楽器も作曲家も欧州の音楽が多いはずです。欧州=ヨーロッパとは何でしょうか。日本の音大には欧州出身の方々もいらっしゃると思いますが、西洋音楽に携わる意義について考えてみましょう。

欧州について知る意義

以前、ある有名な音楽家から「日本人として、東洋人として西洋音楽を演奏する意味について悩んだ」という体験を聞きました。欧州の音大に留学し、欧州人の先生方の指導を受けながら、西洋音楽を演奏する――。「そんなことはピアニストやバイオリニストを目指すのならば当たり前」と割り切って悩みを抱かない人もいるでしょう。しかし私はその話を聞いて、私自身の欧州体験とも重ねて、分かる気がしました。

シューマンが住んでいたアパート シューマンが得意な日本のピアニストがいるのでしたら、筝曲が得意なドイツの音楽家がいても不思議ではありません。しかし実際には圧倒的に前者が多いはずです。シューマンをドイツ音楽と捉えていいですが、「子供の情景」「謝肉祭」といったピアノ曲集は世界共通の音楽として人々に演奏され聴かれています。

西洋音楽が世界中で受容される理由は何でしょうか。最近読んだ本に、2024年1月刊行の大月康弘著「ヨーロッパ史」(岩波新書)があります。同書の冒頭がいきなり「ヨーロッパとは何か」です。これは欧州史の名著、増田四郎著「ヨーロッパとは何か」(岩波新書、1967年)のことです。「ヨーロッパとは何か」には、日本人が「ヨーロッパを知ることの意義」についてまず書いてあります。明治以後の日本は欧州を手本に近代化を進めました。よって日本で欧州について研究することは単に外国を研究する以上の意義を持つというのです。それは近代日本とは何かを問うことと不可分というわけです。

自由、平等、博愛の市民精神

一方、最近出版された「ヨーロッパ史」のほうは、「ヨーロッパとは何か」を踏まえつつ、古代ギリシャやローマ、ビザンツ帝国の時代から現代の欧州連合(EU)までの西洋史を概観しつつ、汎欧州的規模の事象が間歇的に見られることに着目。国民国家とは異質な汎欧州の原理に突き動かされて世界が変化していった点を取り上げています。そして欧州の都市と自由な個人=市民に注目し、都市での市民の自由、市民相互の平等、博愛の精神が普遍的な価値となり、今日、世界の文化を基礎付けていると説明しています。

かつての欧州列強は今や欧州連合(EU)を構成しています。欧州について研究することは、グローバルな世界を問うことと不可分になったのでしょう。ジョン・ロックの「統治二論」やジャン=ジャック・ルソーの「社会契約論」、アダム・スミスの「国富論」を源流とする人権、民主主義、自由主義の理念は、EU諸国や日米など先進国の基盤にあります。

ベートーヴェンの生家 汎欧州的な価値観が世界の文化を基礎付けているのでしたら、西洋音楽は世界共通の文化と位置付けられます。モーツァルトやベートーヴェンの音楽は人類の財産です。しかし中には、「西洋かぶれ」と批判する向きも相変わらずありそうです。「欧州に留学したり、在住したり、国際結婚したりしているわけじゃないでしょ」などと難癖を付けて、最後には「ヨーロッパ通ぶるなよ」、太宰治風にオチを付ければ「威張るな!」みたいなお叱りを受けることもあります。

汎欧州の普遍的な価値観

まず「西洋かぶれ」ではありません。クラシック音楽は近代日本の文化そのものです。音楽に限らず、汎欧州的なものが近代日本には確実に存在していました。私が幼い頃、山岳地の実家から数百メートル離れたところに薄い黄土色をした西洋館が立っていました。町と合併する前に村役場だった建物で、当時は診療所でした。建築様式は分かりませんが、3~4階建てで、両脇に円柱が立つ正面玄関、大きなバルコニー付き。「ロメオとジュリエット」の舞台のような「屋敷」だったと記憶しています。後年、ドイツで似たような建物を見るたびに懐かしくなりました。空襲がなかった山間部ですので、明治・大正期の建物がそのまま戦後の高度成長期まで残りました。日本の原風景です。

実家の窓から眺めていた西洋館が最初のヨーロッパとの出合いと言えるかもしれません。残念ながら診療所の移転計画が進み、西洋館は取り壊されることになりました。当時、私は診療所の医師の子供と一緒にバスに乗って数キロ先の保育園に通っていましたが、その家族が別の町へと引っ越す直前、親子でお別れをした日を覚えています。西洋館は空き家となり、建設資材置き場としてしばらく使われていました。黄昏時には、西向きの建物の正面が赤々と輝き、屋根やバルコニーを黒々とした翼あるものの群れが飛び交っていました。数年後には屋敷も人も思い出も無かったかのように全くの更地と化しました。

ところでもう一つ、「欧州に留学、在住、云々」のほうですが、西洋音楽に携わるうえで、それらは必須ではありません。増田著「ヨーロッパとは何か」にも、「ヨーロッパ人になりきること」と、日本の社会に果たす役割とは別物と書いてあります。欧州人になりきることはできません。重要なのは、汎欧州の普遍的な価値を、それぞれ自分の社会生活に取り込んで活用することでしょう。そうしてこそ日本で西洋音楽を演奏し、聴いて楽しみ、それについて書く意義が生まれます。

欧州学部、「ヨーロッパ学」のすすめ

17~19世紀初めまで、英国の貴族は「グランドツアー」と称して主にイタリアを旅行し見聞を広げました。貴族でなくても、ドイツの文豪ゲーテはヴァイマール公国での官職の無期限休暇を取り、イタリアに旅立ち、後年「イタリア紀行」を著しました。作曲家ではフィンランドのシベリウスが支援者カルペラン男爵の尽力による募金でイタリアを旅し、1年後に「交響曲第2番」を作曲しました。いずれもイタリアの古典芸術に触れる機会を得て、国や民族の次元を超え、世界に通用する汎欧州の理念を身に付けました。汎欧州的な価値観は、出身国とは関係なく、個人の意志で獲得するものと思われます。

萩原朔太郎 欧州旅行ができればいいですが、日本にいても書籍や音源で「ヨーロッパとは何か」を探究し、汎欧州の価値観を見つけることは可能です。詩人の萩原朔太郎、小説家の堀辰雄を思い起こしましょう。彼らは西洋文学の影響を受けた作品を多く書きましたが、一度も渡欧したことがないのです。フランスへ行きたいと思っても「ふらんすはあまりに遠し」(萩原朔太郎「純情小曲集」)。それでも詩人は西洋芸術を吸収し、社会生活に取り入れて熟成させ、世界に誇る日本の近代詩を確立しました。

日本の大学に欧州学部、ヨーロッパ学部があっていいと思います。音楽、哲学、文学、美術、歴史、政治、外国語などあらゆる学問分野を含め、「ヨーロッパ学」を修めるのです。日本にとって重要なはずなのに、そのような学部は見つかりません。音大がそれに最も近い気もします。音大生の皆さん、実用的な即効性はないかもしれませんが、「ヨーロッパ学」を意識すれば視野が広がります。特に西洋音楽に携わる皆さん、お試しください。

池上 輝彦(いけがみ てるひこ)音楽ライター profile

池上 輝彦(いけがみ てるひこ)音楽ライター 音楽ライター、音楽ジャーナリスト。早稲田大学卒業後、日本経済新聞社入社。証券部・産業部記者を経て欧州総局フランクフルト支局長、文化部編集委員、映像報道部シニア・エディターを歴任。音楽レビュー、演奏家や作曲家へのインタビュー記事、映像付き音楽連載記事「ビジュアル音楽堂」などを執筆した。現在はメディアビジネスのチーフメディアプロデューサー。クラシック音楽専門誌での批評、CDライナーノーツ、公演プログラムノートの執筆も手掛ける。ヤマハ音楽情報サイト「Web音遊人(みゅーじん)」にて「クラシック名曲 ポップにシン・発見」を連載中。
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次回の掲載は2024年3月5日ごろを予定しております! ぜひお楽しみに!

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