音大生にエール!
連載75

非音大卒いけてる原論⑧
理系ですか? 音楽家は文理両道

音大生の皆さん、こんにちは。日本では理系人材が不足しています。デジタルトランスフォーメーション(DX)の推進、人工知能(AI)や自動運転車、先端ロジック半導体など先端産業の拡充に向けてデジタル人材の育成が急務です。STEM(科学・技術・工学・数学)教育やリスキリング(学び直し)の強化も叫ばれています。ところで音大は理系ですか。「まさか。芸術系ですよ」。そうでしょうが、音楽は理系でもあり、音楽家は文理両道だと思います。音楽を通じて工学分野に習熟し、理系のセンスを社会に生かせればステキです。

ビートルズ「最後の新曲」にAI技術

ビートルズ ビートルズの「最後の新曲」という「NOW AND THEN(ナウ・アンド・ゼン)」が2023年11月2日にインターネット配信されました。多くの音大生の皆さんも聴いたことと思います。この新曲は同年11月10日の全英シングルチャートで1位になりました。報道によれば、同一アーティストとしては史上最長54年ぶりの首位返り咲きで、1969年の「ジョンとヨーコのバラード」以来18曲目とのことです。

「ナウ・アンド・ゼン」は、ジョン・レノンが1970年代後半に作詞・作曲し、自宅でピアノ弾き語りの歌を録音したカセットテープが音源になっています。そこからAIによる音源分離技術を利用してピアノの音やノイズを排除し、レノンの歌声を抽出しました。レノンは1980年12月8日、米ニューヨークの自宅前で銃撃され亡くなりましたが、死後40年以上も経って「新曲」の歌声がクリアに蘇りました。

「ナウ・アンド・ゼン」の作曲時にはすでにビートルズは解散していたのですが、「再結成」と捉えればいいでしょう。と言うのも、「最後の新曲」には、2001年に亡くなったジョージ・ハリスンの生前録音のギター演奏も加え、現役で活躍中のポール・マッカートニーとリンゴ・スターがベースやギター、ドラムスなどを演奏して完成させたからです。AIが機械学習によって古い音源の音声を認識し、きめ細かい音声分離を可能にし、メンバーが故人であってもバンドの再結成と新曲のスタジオ録音が実現する時代となったのです。

エディット・ピアフの新管弦楽編曲

ビートルズほどには話題になっていませんが、やはり2023年リリースのCD「エディット・ピアフ:サンフォニック(SYMPHONIQUE)」(ワーナー・ミュージック・フランス)も驚異的な「新譜」です。1963年に亡くなったエディット・ピアフの生前録音の歌声はそのままに、ロンドン交響楽団やロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団の楽団員らによる新たな管弦楽編曲演奏を加え、「群衆」「愛の讃歌」「ばら色の人生」など往年のシャンソンの名曲を新曲のように録音しています。音声分離技術とリミックスによるピアフ没後60周年のニューアルバムです。これとは別にワーナー・ミュージックとピアフの遺産管理団体は23年11月、新たな伝記映画でAIによるピアフの再現音声をナレーションとして使用するとも発表しました。

ビートルズやピアフの最近の例を見るだけでも、IT(情報技術)や音響工学、AIなど科学技術の進化を背景に、音楽に大きな変化が起きているとの実感がわいてきます。音楽はこれまでも科学技術によって何回もこうした変化を経験してきました。音楽はサイエンスそのもののような気もしてきます。特に器楽についてはそうでしょう。

歴史を遡れば、音楽の科学としての側面が見えてきます。古代ギリシャ人にとって音楽はアポロンが率いるミューズの神の芸術でしたが、同時に、数学や心理学によって科学的に考察する対象でもありました。古代ギリシャの数学者ピタゴラスは、楽音の振動数の比がオクターブ(完全8度)で1:2、完全5度で2:3、完全4度で3:4であることなどを発見しました。そこからピタゴラス音律が導き出され、異名同音の差であるピタゴラスコンマの課題も生じました。

音楽を数学的に捉える

ピタゴラス学派は数学の集団だったとしても、1オクターブ間の12音を発見し、西洋音楽の礎を築いたと言えます。西洋音楽ではその後、異名同音を利用した五度圏の理論が形成され、長調と短調による近代の機能和声理論が発展していきました。ピタゴラスの古代の数学がなければ、20世紀のシェーンベルクによる十二音技法の確立とセリー(音列)主義の現代音楽の出現も無かったでしょう。

アリストテレス アリストテレスは主著「政治学」の第8巻「最善の国家の教育制度」で、「読み書き」「図画」「体操」「音楽」の一般4教科の中で、音楽について比較的長く論じています。そこでは音楽が人間の性格形成に及ぼす影響、人間を徳へと導く効用などについて論理的に説明しています。科学と呼べるほどではありませんが、ミクソリディア旋法が聴き手の悲しさや重い気分を増長させ、フリギア旋法が魂を霊感に満たしたりするなどと、心理学的に分類してもいます。

音楽を数学的に捉えようとすると、ピタゴラスやエウクレイデスへの連想も働いてか、作曲家は古代オリエントや古代ギリシャ、ヘレニズムに関心が向かうのでしょうか。20世紀の音楽にはストラヴィンスキーのバレエ音楽「ミューズを率いるアポロ」、十二音技法を駆使したシェーンベルクのオペラ「モーセとアロン」など、古代を題材にした作品が目立ちます。

古代ギリシャではないですが、建築家でもあったギリシャ系のクセナキスは、得意とする数学の作曲への応用を師のメシアンから薦められました。クセナキスは1953~54年、縦軸に音高、横軸に時間を割り当てたグラフ図形を使用し、数学的な書法で管弦楽曲「メタスタシス」を作曲し、独ドナウエッシンゲン音楽祭で世界初演され、衝撃的なデビューをしました。

電子音楽の台頭と音響工学

クセナキスの例を見ますと、音楽を科学的に捉えるクールな創作姿勢は、20世紀後半の現代音楽から本格的に台頭してきたと言えます。もちろんバッハやハイドンも理数脳で論理的に音を組み立てて作曲しましたが、数学や音響工学を重視する傾向が強まったのは、電子音楽が台頭してきた1960年代からです。ブーレーズが主導しフランス国立音響音楽研究所(IRCAM)を開設した1977年までには工学の重要性が広く認識されました。

IRCAMの活動は、音楽現象に関して科学的視点を導入し、物理学や認知心理学、情報理論など様々な学問領域との連携を進めることとされています。科学技術で音楽を革新することが任務であり、音楽と音響に関する工学です。IRCAMの活動を通じて作曲支援コンピュータのためのビジュアルプログラミング言語などが開発されました。作曲でもブーレーズやベリオらから始まり、シュトックハウゼンや湯浅譲二、スペクトル楽派のグリゼーやミュライユらがIRCAM関連の作品を発表してきました。

ポップスの分野でも1970年代にシンセサイザーの利用が広がり、クラフトワーク、タンジェリンドリームといったドイツのクラウトロック、デヴィッド・ボウイ、YMO、ジャパンといったアートロックやテクノがポピュラー音楽の質を変えました。そしてデジタル化とパソコンの普及により、デスク・トップ・ミュージック(DTM)が普及しました。さらに音声合成技術の進展でデジタル環境での作曲と自動演奏に磨きがかかりました。

生成AIの利用が焦点に

生成AI 今はAI技術、とりわけ生成AIの利用が焦点です。理化学研究所の革新知能統合研究センター(AIP)は、AIを使った作曲支援システムの研究開発を担っています。2022年にはAIPの音楽情報知能チームに音楽家の小室哲哉氏が客員主管研究員として加わりました。小室氏が作曲した楽曲の数々をAIで構造分析するとのことです。人間がコンセプトを提供し、生成AIがその意向に沿って作曲するという時代が目前に迫っているようです。

大学の工学部で使われる音響工学の教科書、例えば飯田一博著「音響工学基礎論」(コロナ社、2012年)を開きますと、音の分類や波動方程式から始まり、耳の機能、音の知覚、室内音響や電気音響、フーリエ変換やサンプリング周波数変換などデジタル処理まで、興味深い内容を一通り網羅して説明しています。もちろん高等数学の数式は出てきますし、ある程度の数学の基礎がなければ読みこなすのは困難です。しかし理系の知識や技能も持ったうえで音楽に携われば、創作や就職、ビジネスの可能性は広がります。

音大「工学部」の潜在力

今後の教科書ではAI関連のページが拡充されるはずです。生成AIが進化すれば、作曲や作詞などの創作の仕事を奪われると懸念する向きもありますが、人間が人間に興味を持ち続ける限り、人間の創作はなくなりません。むしろ誰が創作したか、誰がどんなコンセプトに基づいてAIをどの部分で利用したか、といった区別が重要になります。芸術は人間とAIが優劣を競う勝負事ではないのです。フェイクや剽窃を見抜いて摘発し、著作権を保護する技術や法律も急速に整備されるはずです。独裁国家の言論統制を別にすれば、個人の創作活動の未来を技術面から過度に案じる必要はありません。

音大に工学部があればいいと思います。電子工学や音響工学も学べる学科やコースは音大にもあるようですが、工学部の設置は聞いたことがありません。デジタル社会のメディアやコンテンツを考えれば、音楽や音響も映像や画像、テキスト情報と並び重要な技術要素です。

工学部がある音大は画期的な存在になるでしょう。工学部がない現状でも、工学的なアプローチで音大に学び、理系のセンスと技能を身に付けることは可能なはずです。音大生の皆さんは理系の潜在力を生かせるはずです。文理両道の皆さんの強みに期待しています。

池上 輝彦(いけがみ てるひこ)音楽ライター profile

池上 輝彦(いけがみ てるひこ)音楽ライター 音楽ライター、音楽ジャーナリスト。早稲田大学卒業後、日本経済新聞社入社。証券部・産業部記者を経て欧州総局フランクフルト支局長、文化部編集委員、映像報道部シニア・エディターを歴任。音楽レビュー、演奏家や作曲家へのインタビュー記事、映像付き音楽連載記事「ビジュアル音楽堂」などを執筆した。現在はメディアビジネスのチーフメディアプロデューサー。クラシック音楽専門誌での批評、CDライナーノーツ、公演プログラムノートの執筆も手掛ける。ヤマハ音楽情報サイト「Web音遊人(みゅーじん)」にて「クラシック名曲 ポップにシン・発見」を連載中。
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次回の掲載は2024年4月5日ごろを予定しております! ぜひお楽しみに!

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