音大生にエール!
連載77

非音大卒いけてる原論⑩
有名とは何か?
職人気質の実力派で行こう

音大生の皆さん、こんにちは。音大で教えている方から先日伺った話ですが、「最近の学生は『どうすれば有名になれますか』と質問してきます」とのことです。皆さんは有名になりたいですか。名が知られれば得でしょうか。そもそも有名とは何ですか。音楽家は有名になりさえすればいいのでしょうか。

古今和歌集の詠み人知らず

例えば、様々な演奏家や作曲家が参加する音楽祭があるとします。チケットの売れ行きを検索しますと、テレビ番組でよく見かけるタレント性の高い演奏家のリサイタルだけが早々と完売になっていたりします。私の場合、そうしたリサイタルを聴きたいわけではないので、チケットを買えなくて悔しくもありませんが、なぜそんなに人気なのかと考えますと、そのアーティストが名前も顔もマスメディアを通じて広く知られているためだと思われます。演奏を聴きたいだけでなく、有名人に会いたいという気持ちも働くのでしょう。有名人であることの優位性を物語る現象です。

春霞たてるやいづこみよしのの吉野の山に雪はふりつつ

紀貫之 これは古今和歌集の巻第一「春歌 上」の第3首で、詠み人知らずとして最初に出てくる歌です。古今和歌集には詠み人知らずの歌が約450首収められており、全体の4割を占めます。万葉集や数々の勅撰和歌集での「詠み人知らず」とは、匿名希望の人のほか、高位でない人、政争で追いやられた人、高位であっても名前を出すのが立場上憚られる人、などが作者である場合のようです。古今和歌集には紀友則、紀貫之、凡河内躬恒、壬生忠岑の撰者4人の歌が全体の2割も入集されるなど、同一人物の歌が複数首あるため、作者の多様性という意味でも、詠み人知らずの歌の重要性が伺えます。

やまとうたの秀歌の数々が詠み人知らずというのは、いかにも控えめで奥ゆかしく、日本文化の繊細な美しさを表していると思いませんか。特に古今和歌集の巻第十一~十五「恋歌」では、詠み人知らずの歌が数多く続きます。ちなみに、言わずもがなですが、日本の国歌は古今和歌集巻第七「賀歌」の詠み人知らずの第1首が原歌です。

コンクール入賞とSNS自己宣伝

「私の名前が消えても、歌だけが詠み人知らずとして残っていくのが理想」。報道によりますと、松任谷由実さんは2018年の「第66回菊池寛賞贈呈式」に登壇し、受賞の喜びをこう語ったそうです。ユーミンほどの超有名音楽家にしてこの「詠み人知らず」発言。「春よ、来い」「あの日にかえりたい」など数々の名曲を生み出したアーティストが末永く残ってほしいと願うのは自らの作品であることが分かります。本物の芸術家ならば当然の願いです。「竹取物語」は作者の名前が不明でも、「竹取物語」自体が読み継がれているからこそ意味があるのです。

ところが最近は音楽家志望でも、まず有名になりたいという人が多いようです。有名になる方法はいくつかあります。常套手段はコンクールで上位に入賞すること、できれば優勝することです。国際コンクール第1位ともなれば、マスメディアが取り上げます。マスコミ関係者が何百人や何千人もの世界中の有望な音楽家の演奏を聴いて、自分たちで価値判断して論評するのは不可能です。国際コンクールで優勝して注目を集めれば、コンサートを開く機会も広がるというわけです。しかし国際コンクールで優勝するのはとても難しいでしょうし、最近はコンクールの数が多すぎて、いちいちマスメディアが取り上げない場合もあります。受賞を報じる短いニュース映像や雑報記事だけにとどまるかもしれません。

SNS(交流サイト) 有名になるほかの方法としては、SNS(交流サイト)やアプリケーションやユーチューブを使った自己宣伝もあります。現在、この方法が最も使われているでしょう。多くの方々が演奏でも批評でも活発にSNSやアプリやユーチューブで発信しているようです。そうした中から多くのフォロワーやビューや「いいね」を集めて注目され、それを足掛かりに有名になるのです。インターネット上での話題が後押しとなり、テレビ出演や書籍出版の依頼、大学やイベントでの講師の依頼も来るかもしれません。

「有名学科セルフプロデュース専攻」

しかしSNSやアプリで自己宣伝してウケさえすればいいのでしょうか。自分の存在価値を知ってもらいたいという承認欲求。周りからチヤホヤされたい、モテたいという自己愛。自分を軽んじた人を見返したいという自尊心。自分は大きなことを成し得るはずだという立身出世欲と自己肯定感。背景には、高偏差値の名門中高卒や国内外の超難関大学卒といった学歴(所得が高くない家庭の子供を含め誰もが平等にそうした中高・大学を一斉に目指して競える環境ではないにもかかわらず)、立派に見える職歴、他人にはない特技や経験などに裏打ちされた高いプライドがあることでしょう。もちろん自己肯定感は悪くないです。しかしそうした承認欲求や負けず嫌いに基づく自己宣伝コンテンツによる「集票活動」は、本来の芸術活動とは全く関係のない文化的ポピュリズムに堕するかもしれません。

文化的ポピュリズムは結局どのようなことになっていくのでしょう。一つには「入門編」のコンテンツばかりが増えてしまうことになります。音楽で言えば、クラシック音楽やジャズに詳しくない人々を先導する自称ナビゲーターによる「わかる本」が蔓延することになります。ウケを狙った分かりやすい演奏、易しい解説、親しい有名人の紹介や交友録といったところでしょう。一般大衆の受容水準を低く見積もった大衆迎合による文化的劣化です。

なぜそうなるかと言えば、自己宣伝に長けて話題を振り撒ける有名人ばかりが文化発信の主要ポストを席巻し、とっつきにくい職人気質の実力派を駆逐してしまうからです。そうなると、文化発信にとって最も必要なのは、専門的学問の研鑽よりも、手っ取り早く器用なセルフプロデュース力ということになってしまいます。音大でも「どうすれば有名になれますか」という質問を皆さんが頻繁にするのならば、「有名学科セルフプロデュース専攻」を開設したほうがいいでしょう。

有名人が書いたことにすれば?

ゴーストライター 文化的ポピュリズムがさらに進めば、職人気質の地味で地道な実力派を駆逐するだけでなく、大量の「ゴーストライター」を発生させるでしょう。極端な話、どんなに演奏が下手でも、有名人に楽器を弾かせたり歌わせたり解説させたりしたほうがコンサートやイベントは盛り上がり、集客をしやすいというビジネスの発想も出てくるでしょう。有名人をステージ前面に出し、無名の実力派がバックで支えるといったコンサート形態も集客のためには考えられます。観客は有名人が楽器を弾くのを見て楽しみたいだけで、うまいか下手かは関係ないのです。

作曲や評論でも同様のことが言えます。「有名人が書いたことにすれば売れるのになあ。あなたのような何でもない人には無理ですよ」。書籍の企画案を出版関係者に見せてこう断られたライターを知っています。自分の本を出版したい方々に対し、「ライターならいくらでもいますから。彼らにうまく書かせますよ」と説明する編集者もいるようです。

2014年には作曲家の新垣隆氏が佐村河内守氏のゴーストライターを18年間務めていたことを公表しました。「無名だと損をする。ゴーストライターを強いられる」という焦燥感も、有名になりたいという願望を強くするのでしょう。身を守るため、自らの才能や作品を利用されないためにも、有名になりたいという自己防衛本能です。しかしそれは、ゴーストライター制度がまかり通り、本来のライターへのリスペクトが低い社会に問題があるのであり、まずは悪しき風潮や不正をただす必要があります。

真の創造者を支援する社会

ところで、そもそも新聞記者は、取材相手の秘匿のために匿名で記事を書きます。私自身を振り返っても、無署名の記事のほうが署名記事よりもはるかに多いです。特にニュース記事についてはほぼすべてが無署名記事でした。新聞記者は個人として名を上げたい、有名になりたいと思う人には向かない職業です。

もっとも、組織ジャーナリズムとしての新聞の無署名記事と不当なゴーストライティングとは全く意味が違います。実力のある演奏家や作曲家、ライター、クリエーター本人が前面に出られる当たり前の環境を整えなければなりません。デジタルネットワーク社会の中では、発想や独自企画・情報の不正転用やフェイク、剽窃を見破って摘発し、真の創造者を支援する体制づくりが急務です。

課題山積の世の中、有名になりたい願望も募りがちでしょうが、音大生の皆さんには職人気質で実力を磨くことに専念していただきたいです。付け焼刃の有名人の歌よりも、磨き抜かれた詠み人知らずの歌のほうが後世に残ります。それに著作権社会の現代では、名もあとから必ず付いてくるはずです。マスメディアの責任も重大です。誰もが称賛する超有名な指揮者や演奏家を一般の人々と同様に追いかけるのでは全く足りません。まだ名もない優れた芸術を発見し、論評する鑑識眼を身に付けなければなりません。職人気質の実力派が報われる社会環境の整備が前提になりますが、有名人になろうと齷齪(あくせく)することなく、皆さんが地道に実力を身に付けて、それぞれの道を極めることを願っています。

池上 輝彦(いけがみ てるひこ)音楽ライター profile

池上 輝彦(いけがみ てるひこ)音楽ライター 音楽ライター、音楽ジャーナリスト。早稲田大学卒業後、日本経済新聞社入社。証券部・産業部記者を経て欧州総局フランクフルト支局長、文化部編集委員、映像報道部シニア・エディターを歴任。音楽レビュー、演奏家や作曲家へのインタビュー記事、映像付き音楽連載記事「ビジュアル音楽堂」などを執筆した。現在はメディアビジネスのチーフメディアプロデューサー。クラシック音楽専門誌での批評、CDライナーノーツ、公演プログラムノートの執筆も手掛ける。ヤマハ音楽情報サイト「Web音遊人(みゅーじん)」にて「クラシック名曲 ポップにシン・発見」を連載中。
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次回の掲載は2024年5月5日ごろを予定しております! ぜひお楽しみに!

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