音大生にエール!
連載78

非音大卒いけてる原論⑪
演奏とは何か?
誰でも弾けるAI時代にプロであること

音大生の皆さん、こんにちは。私も音大で学びたいことがたくさんあるのですが、音大入試にはピアノ副科がありますね。ピアノはまともに弾けないので、試験官の前でピアノ演奏を披露するのは無理だと諦めています。ところで演奏とは何でしょうか。一人で楽器を弾いて楽しむだけならともかく、何のために演奏し、誰に聴かせますか。上手いとか下手とか判定する基準はどこにあり、そもそもプロとアマチュアの違いは何なのでしょうか。

報道によりますと、2023年12月21日、サントリーホールブルーローズ(東京・港)で障がいのあるピアニスト3人とオーケストラとの共演コンサート「だれでも第九」が開かれました。使用された楽器は、ヤマハと東京藝術大学が共同開発した自動伴奏機能付きピアノ。3人は各楽章を分担し、ベートーヴェンの「交響曲第9番」を横浜シンフォニエッタ、東京混声合唱団と共演したとのことです。抽選で選ばれた約140人が来場し、ユーチューブでも同時配信されたようですので、皆さんも聴かれたかもしれません。

指が届かなくて弾けない曲

ピアノ このピアノは人工知能(AI)技術を搭載した自動伴奏機能システム付きです。例えば、演奏者が指1本で旋律を弾いただけでも伴奏とペダルが自動的に追従してくる仕組みだそうです。こうしたAI活用が進展すれば、私のような正規にピアノを習ったことがない者でも、自分の意図した音に限りなく近づけて弾けるようになるかもしれません。

障がいが無くても、身体的に弾けないピアノ曲はいくつもあります。例えば、シューマンのピアノ曲集「子供の情景Op.15」から第7曲「トロイメライ」。親しみやすく簡単そうな曲ですので、私も自己流で練習しましたが、最後から3番目の小節で挫折しました。両手にそれぞれ長10度の和音が出てきて、指が届きません。アルペジオ記号が無いので和音を同時に鳴らす必要があるうえに、フェルマータで和音を伸ばすわけですね。不可能です。

ラフマニノフの「ピアノ協奏曲第2番ハ短調Op.18」は難曲といわれますが、第1楽章冒頭から直ちに弾けません。左手は1小節目から短10度の和音です。ラフマニノフは身長2メートルの巨漢で、13度も届く大きな手を持っていましたから、10度くらい何でもなかったでしょうが、一般的な指の長さでは至難の業でしょう。掌を広げて見せて「私は指が長いからピアノが上手くなると言われた」という人もいるでしょうが、身体的理由で弾けたり弾けなかったりするのは理不尽です。

コンクール感覚から抜け出す

音楽を聴くことにも経済的、時間的な制約はありますが、弾くことには身体的な制約も加わります。練習が足りないというレベルではない、どうにもならない不可能性がそこにはあります。しかしAIの活用が普及しつつある今、誰でも自由に好きな音楽を演奏できる時代が目の前に迫っているといえます。そのとき初めて、音楽は誰もが聴いて弾いて歌って作って楽しめる文化になるのでしょう。

皆さんの中には演奏家を目指す人も多いかと思います。簡単なギターとキーボードしか弾けない私のような素人から見ますと、仲間内だけで楽しんでいるオーラを出す奏者もいます。さすがにプロにはそういう人はいませんが、セミプロというか、一般人よりはテクニックがあると自負している方々に多い気がします。高尚な仲間どうしで音楽を楽しむのはいいことです。しかし第三者がそうした方々を前にしますと、排除された気分になり、疎外感を抱きます。自分たちの上手さ、優秀さ、趣味の良さを見せつける演奏は、勘違いのエリート臭を放って嫌味とも受け取られかねません。

ピアノ 今、音楽コンクールは無数にあり、多くの方々がコンクール入賞を目指して練習に打ち込んでいることでしょう。しかしコンクール感覚から抜け出せないと、万人に聴かせられるプロの演奏家になることは難しい気がします。もちろん演奏技術の習得は大事ですが、誰に聴かせて何を伝えるかのほうがもっと重要だと思います。高度な技術や超絶技巧が無くても、聴き手を感動させる演奏はあります。聴かせるビジョン、万人に提示する創造世界を持っている人がプロのアーティストです。

演奏が容易で優れた芸術音楽

デヴィッド・ボウイは7枚目のスタジオアルバム「ダイアモンドの犬」(1974年)でボーカルとギターだけでなく、サクソフォン、モーグ・シンセサイザー、メロトロン(磁気テープによるサンプル音再生鍵盤楽器)といった様々な楽器を自ら演奏しています。5作目の傑作「ジギー・スターダスト」以来のバンドメンバーの脱退が相次いだ背景もありますが、ジョージ・オーウェルのディストピア小説「1984」に触発された重厚なコンセプトアルバムを自演の多重録音で創造していく手作り感にひき込まれます。いずれもコンクールで優勝するほどの演奏技術ではないはずですが、天才クリエーターは独自の創造世界を構築するためには自らの技術水準など意に介しません。

このように、ロックの素晴らしさの一つは、限られた素材や技術の中で創意工夫するところにあります。中学生の頃、甲斐バンドのアルバムを聴いたときの感動は忘れられません。ほとんどの作詞作曲を手掛ける甲斐よしひろ氏は当時の私のヒーローでした。傑作「翼あるもの」はいきなり主調のホ短調(Eマイナー)のトゥッティで始まります。「ポップコーンをほおばって」「ダニーボーイに耳をふさいで」などシンプルなコード進行で最大限の劇的効果を上げる甲斐バンドの短調の曲は、稀有な音楽性を示します。比較的容易なので、アマチュアバンドは甲斐バンドの曲をよく演奏したものです。

アマチュアでも容易に演奏できる音楽といえば、パウル・ヒンデミットが提唱した「実用音楽」があります。「弦楽四重奏曲第7番」はアマチュアのチェロ奏者だったヒンデミットの妻や学生が演奏することも想定し作曲されました。楽譜を見ると、確かにチェロのパートをはじめシンプルな音符が並んでいて、比較的簡単に弾けそうです。でも曲を聴きますと、バリバリの20世紀の現代音楽という印象を受けます。演奏が容易でも優れた芸術音楽になることがヒンデミットの作品から分かります。

一段と進む演奏の民主化

もう一例。ハンガリーの現代作曲家クルターグ・ジェルジュが1973年から作曲し続けて第8巻に達するピアノ小品集「遊び(Játékok)」。子供でも全鍵盤の上を自由に走り回れるというコンセプトで書かれました。指が届かないような和音は出てこないし、易しいピアノ曲ばかりですが、子供が弾いても無調を経た現代音楽の響きを醸し出します。現代音楽の親しみやすさ、大人も子供も分け隔てなく演奏できる音楽の素晴らしさを実感します。

ピアノ 子供

こうして見てきますと、演奏技術の基準が分からなくなります。プロにこそ信奉者が多いアルトゥル・シュナーベルの「ベートーヴェン・ピアノソナタ全集」を聴きますと、ミストーンが入っています。ヴィルヘルム・ケンプの録音にも演奏のミスはあります。当時の独奏ピアノの録音は一発採りで修正もしなかったせいかもしれませんが、弾き間違いがあっても歴史的録音の傑作には変わりないのです。そこで聴き手を感動させるのは、真の演奏芸術の担い手が提示する独自の世界観だと思います。

AIの進化によって誰でも弾ける楽器はますます増えます。プロとアマチュアの差も分かりにくくなります。演奏の民主化が一段と進むのです。誰もが演奏を楽しめるのは幸せな環境だと思いますが、プロの演奏家にとってはどうでしょう。もちろんリストやラフマニノフの難曲をAIの支援も借りずにライブ演奏する価値は残ります。しかし単に正確に弾くのならばAIによる自動演奏が勝つかもしれません。演奏家の創造性や人生観がますます問われるでしょう。演奏の芸術的価値を改めて考えてみませんか。

池上 輝彦(いけがみ てるひこ)音楽ライター profile

池上 輝彦(いけがみ てるひこ)音楽ライター 音楽ライター、音楽ジャーナリスト。早稲田大学卒業後、日本経済新聞社入社。証券部・産業部記者を経て欧州総局フランクフルト支局長、文化部編集委員、映像報道部シニア・エディターを歴任。音楽レビュー、演奏家や作曲家へのインタビュー記事、映像付き音楽連載記事「ビジュアル音楽堂」などを執筆した。現在はメディアビジネスのチーフメディアプロデューサー。クラシック音楽専門誌での批評、CDライナーノーツ、公演プログラムノートの執筆も手掛ける。ヤマハ音楽情報サイト「Web音遊人(みゅーじん)」にて「クラシック名曲 ポップにシン・発見」を連載中。
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次回の掲載は2024年5月20日ごろを予定しております! ぜひお楽しみに!

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