音大生にエール!
連載79

非音大卒いけてる原論⑫
音楽とは何か?
ドレミとライブの外にある未来

音大生の皆さん、「原論」も最終回です。担当の方からは当初、6回か12回、さらに延長も可と言われましたが、私は非音大卒の音楽ファンにすぎませんので、分をわきまえます。錚々たるプロの音楽家が書きつないできた「音大生にエール!」。私の回は異例の門外漢による連載でしたので、以後再び音楽や学術の第一線の方々が執筆される文章を私も読みたいです。何でもない人からの最後の問い。音楽とは何ですか。ドレミとライブの外にはどのような未来の音楽が広がっているでしょうか。

再びビッグ・ビジネスに

不要不急。この言葉、皆さんはすでに忘れているかもしれません。コンサートホールやライブハウスが新型コロナウイルスの感染拡大源の一つとされ、音楽が「不要不急」と言われ、コンサートが相次ぎキャンセルになったのは2020年春先。つい4年前です。それが今ではライブが大盛況となり、円安も影響して特に来日アーティストの公演チケットは非常に高価になっています。

東京ドーム公演 報道によりますと、2024年1月に来日したエド・シーランの東京ドーム公演はSS席で1枚3万8千円。テイラー・スウィフトの東京ドーム2月公演が同3万円。両者のそれぞれ2019年と18年の東京ドーム公演の同等席と比べてそれぞれ2.6倍と2倍の値上がりだそうです。コロナ禍を経て音楽は再びビッグ・ビジネスになっています。

人々が音楽を求めていることは、動画配信サービスで音楽コンテンツの途方もない再生回数を確認すれば分かります。ユーチューブでの再生回数を見ますと、韓国の教育ブランド企業ピンクフォン・カンパニーの童謡「ベイビー・シャーク(サメのかぞく)」が145億回で歴代最多のようです。このほかにも童謡や子供向けの音楽が上位に入っています。

数十億人からの同調圧力

童謡に次ぐのが洋楽ポップスです。ルイス・フォンシ&ダディー・ヤンキー「デスパシート」(84億回)、ウィズ・カリファ「シー・ユー・アゲイン」(62億回)、エド・シーラン「シェイプ・オブ・ユー」(62億回)、マーク・ロンソン「アップタウン・ファンク」(52億回)、マルーン5「シュガー」(40億回)などが目立ちます。2024年1月1日時点の世界人口は80億8207万900人(国連推計)ですので、延べ人数とはいえ、それと同等か半分程度の再生回数です。

私はそうした人気曲を日ごろ聴いてはいません。人気アーティストのライブに行くこともありません。超大物アーティストの来日公演ではチケットが高いだけでなく、抽選に当たりませんし、結局買えないことばかりでしたので、最初から諦めています。もっとも、ライブに行けなくても何も不自由を感じません。

「そんな話題のアーティストのライブにも行ったことがないのか」「生演奏でなければ聴いたことにならない」という声が聞こえてきます。しかし数十億回も視聴されている音楽だからといって、誰もがその曲を聴いたりライブに行ったりしなければならないのでしょうか。人それぞれ感動する音楽は異なって当然ですから、別に聴かなくてもいいでしょう。数十億回に怖気づく必要は全くなく、数十億人が相手でも同調圧力に屈する道理はありません。聴かなくたって違法でも不正でもないのです。

ライブ神話の資本主義

それに「生演奏でなければ」とは言っても、大概のポップスはもともとマイクを使った電子音です。CDや配信だけでも電子音楽作品の鑑賞という意味で立派に聴いたことになります。21世紀音楽史を編纂するとして、ユーチューブの視聴回数ランキング上位曲だけでカバーできるでしょうか。数十億回レベルではクラシック音楽や前衛の現代音楽は1曲もランクインしないと思われます。英語の童謡とポップスが上位の大半ですが、そうした曲のみを日ごろ聴き続けるとしましたら、音楽生活はかなり画一的で貧しいものになるでしょう。

ユーチューブの視聴 デヴィッド・ボウイは2002年のニューヨーク・タイムズ紙のインタビューで、音楽が将来、水道や電気のような誰でも利用可能な公共物になると語りました。ユーチューブの動画配信サービスは2005年12月15日に始まりましたので、その前にユーチューブ時代を予見していたことになります。そのうえで、アーティストが多くのライブツアーを行わなければならなくなることも指摘していました。実際、音源データの共有が進み、アルバムからの印税収入が大幅に減った結果、ライブを行ってアルバムの拡販につなげるのではなく、逆にアルバムをライブのチケット販促に利用しているのが現状です。

好きなアーティストを応援するためにライブに行くのはいいですが、「ライブに行かなければ音楽を聴いたことにはならない」というのは、ライブこそ音楽ビジネスの頼みの綱になった現代資本主義の神話にすぎません。かつては小遣いをはたいて買ったLPレコードを自慢げに見せて音楽論をぶっていた方々がたくさんいたわけですから。

ヒット曲に既視感

クラシック音楽に関しても「名盤」を盛んに聴き比べてじっくり分析する文化がありました。それが今では「あの来日公演に行った」「このオペラも観た」、はい、すぐにSNSで発信――、ですか。いつしか音楽評論は音楽ビジネスの狭い範疇にすっぽり取り込まれてしまいました。クラシック音楽月刊誌「レコード芸術」の2023年7月号での休刊が、音楽史の本質ではない変化への同調を象徴しています。もっとも、「レコード芸術」をウェブマガジンとして復活させる動きもあるそうです。

そろそろ最終回の結論に行きたいのですが、ずばり、ドレミとライブの外に本当の現代音楽のフロンティアが広がっていませんか。現在ヒットしている新曲の数々を聴きますと既視感を抱きます。「かつてあったなあ、この手の曲」という感じです。すべての曲が西洋音階とコード進行、ドミナントやサブドミナント、トニックで作られていて、メロディーとハーモニーがあって、リズムを刻みます。「そんなの音楽だから当たり前でしょ」と言われそうですが、本当に当たり前ですか。

能楽の響きは、西洋音楽でいうハーモニーが無くて新鮮です。そもそも長調、短調、無調、十二音技法のいずれもドレミファソラシとその半音による西洋音階や音列に基づき、A(ラ)音が周波数440Hzで規定されています。しかし440Hzは1939年のロンドン国際会議で決まった基準にすぎず、それ以前は欧州の都市ごとに音高(ピッチ)が異なりました。現代のヒット曲はほとんどがこうした近現代の画一的な規定に基づくホモフォニー(和声音楽)です。規定外の音高、無限音階、モノフォニー(単一旋律音楽)、噪音によるヒット曲があってもいいのですが、国際基準に人々の耳が馴らされているせいか、難しいようです。

未来を開く現代音楽

一方、大勢の人たちと一緒に盛り上がるライブは楽しいものです。しかしここに不要不急どころか、有事や非常事態の際にこそ有用になりうる音楽の性格が秘められています。音楽は共感や一体感をもたらします。ナチス政権下のドイツでは、ワーグナーの音楽が政治集会やプロパガンダに利用されました。権威主義諸国のマスゲームには音楽が欠かせません。

しかし一人で聴きたい音楽もあります。今後は人工知能(AI)に自分の好みを学習させて、自分だけの音楽を奏でさせることも可能になります。AIによるオリジナル曲をプレゼントし合ったりするようにもなるでしょう。

現代音楽 20世紀以降、現代音楽の作曲家たちは近現代の画一的な規定を打破する様々な試みをしてきたはずです。しかし一般聴衆には受け入れられず、今ではドレミとライブのポップスが全盛です。それでも、ポップスの規定パターンに聴き手が飽き足らなくなったとき、たとえ再生回数が200回に満たなくても、「現代音楽」は未来の音楽の可能性を切り開くために必要になります。音楽をしっかり学んでいる皆さんの活躍に期待します。

池上 輝彦(いけがみ てるひこ)音楽ライター profile

池上 輝彦(いけがみ てるひこ)音楽ライター 音楽ライター、音楽ジャーナリスト。早稲田大学卒業後、日本経済新聞社入社。証券部・産業部記者を経て欧州総局フランクフルト支局長、文化部編集委員、映像報道部シニア・エディターを歴任。音楽レビュー、演奏家や作曲家へのインタビュー記事、映像付き音楽連載記事「ビジュアル音楽堂」などを執筆した。現在はメディアビジネスのチーフメディアプロデューサー。クラシック音楽専門誌での批評、CDライナーノーツ、公演プログラムノートの執筆も手掛ける。ヤマハ音楽情報サイト「Web音遊人(みゅーじん)」にて「クラシック名曲 ポップにシン・発見」を連載中。
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次回の掲載は2024年7月5日ごろを予定しております! ぜひお楽しみに!

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