『音大崩壊』を書いてみて②
どうして私には音大崩壊現象が、日本の今の姿の相似形に見えたのか? それは時代が大きく変わる中で、両者とも30年前の地位に安住し、同じようにその変化に背を向けてきたからです。
30年前までの日本は、女性は結婚すると家庭に入り専業主婦になるのが一般的でした。女性は仕事をしたいと思っても、事務職などの補助的な仕事しかなく、それでも頑張って働くと、25歳くらいまでに結婚するのが当たり前の時代でしたから、クリスマス(25歳の意味)を過ぎた“行き遅れ”だの“お局様”などと口さがないことを言われた時代です。女性の経済的自由度は低く、どんな仕事に就くかより、誰と結婚するかが人生を大きく左右しました。そのような時代にあって音大は、しつけの行き届いた真面目な学生が多く、お医者さんや弁護士などの結婚相手として人気がありました。
しかし、女性の社会進出が大きく進み、総合職として男性と同じように働ける時代となり、女性の人生の自由度は大きく広がりました。女子学生が多数を占める音大も、それに合わせて女性の社会進出や自立を後押しする教育に舵を切るべきでしたが、多くの音大はこれまでの成功モデルに安住し、旧態依然とした教育を変えなかったのです。結果として音大全体としての人気は凋落し、社会進出が進む中で女子大生数が3割も増える中、逆に4割減少してしまいました。
日本はどうでしょう? 1960年からの30年間は、所得はどんどん増え続けました。その結果、1990年ころには今の所得水準を実現できたのですが、そこに安住してしまったのです。女性が元気になった分、男性は活力を失い、日本人全体としての所得はそれ以上増えることはありませんでした。さらに少子高齢化も進み、数字だけ見ると先行きのとても暗い国に見えてしまいます。もはや日本が経済的に先進国から“中進国”になるのは、時間の問題です。
これを何とか食い止めたいと思ったのが「音大崩壊」を書いたもうひとつの理由です。
では音大や日本に明るい未来はないのか? 次回はその点についてお伝えしたいと思います。